西日本実業団選手権大会は、昭和10年開催の『関西工場相撲大会』を出発点とし、第二次世界大戦により大会の開催は中止されていたものの、各職域相撲部の親交と相撲界の普及発展を目的として昭和47年再びに第1回目が開催されました。実質約70年の歴史を持つ、実業団によるアマチュア相撲大会の中でも非常に歴史のある大会です。
長い歴史と共に歩んできた、西日本実業団選手権大会を、歴史的な推移からご紹介します。
平成24年 |
第41回大会 |
団体1部では実力伯仲の強者が揃い、長崎県教員が昨年2位の雪辱を晴らす。団体2部では佐伯市役所が初出場ながら初優勝を飾る。 |
平成23年 |
第40回大会 |
東日本大震災からの復興を願い、「元気発信」を合い言葉に開催。第32回大会以来8年ぶりの決勝戦進出を果たした摂津倉庫(株)本社が、勢いそのままに初優勝。 |
平成22年 |
第39回大会 |
「古豪復活」―和歌山県勢同士による団体1部を株式会社松源が制し、30年ぶりの優勝に輝く。 |
平成21年 |
第38回大会 |
新型インフルエンザの影響で、開催中止の大会が相次ぐ中での開催。個人戦にて姫野(大分県教員)が2連覇を達成。 |
平成20年 |
第37回大会 |
山口県教員初出場・大会を振り返って(熱戦)発刊・連盟ホームページ開設 |
平成19年 |
第36回大会 |
アイシン軽金属初出場・大会を振り返って(熱戦)発刊 |
平成18年 |
第35回大会 |
西日本実業団相撲連盟の幟を作成大会を彩る。大会スタッフもTシャツで揃え運営する 大会を振り返って(気合十分)発刊 |
平成17年 |
第34回大会 |
新会長に前田克巳氏(5代目)就任・大会を振り返って(いざ土俵)発刊 |
平成16年 |
第33回大会 |
中華人民共和国から総領事杯を贈呈・個人戦のみの出場を認める。大会を振り返って(男のロマン)発刊 |
平成15年 |
第32回大会 |
連盟旗作成・西日本実業団相撲連盟のマーク誕生 |
平成14年 |
第31回大会 |
表紙デザインを沢村氏が担当・南港さくら幼稚園のアトラクション始まる。鳥取県体育協会が初出場 |
平成13年 |
第30回大会 |
新理事長に吉川幸生氏就任 6月開催となる |
平成12年 |
第29回大会 |
財宝温泉(現轄熾)・野村町役場(西予市役所)初出場 西日本選抜新相撲大会を開催 |
平成11年 |
第28回大会 |
団体戦2部制にて開催以降入れ替え戦の実施・オランダ・ポーランド・ハンガリーへの海外遠征 |
平成10年 |
第27回大会 |
間口康四郎氏新会長(4代目)に就任・マレーシア・ポーランドへの海外遠征 |
平成8年 |
第25回大会 |
新会長青木龍平氏・理事長加納徳蔵氏就任 開催地大阪府堺市大浜公園相撲場にて開催(石川県教員・熊本県教員・瀬戸内町役場などが初出場 |
平成7年 |
第24回大会 |
京都市水道局・九州電力初出場 |
平成6年 |
第23回大会 |
理事長に田中宣好氏就任 |
平成4年 |
第21回大会 |
摂津倉庫初出場 |
平成2年 |
第19回大会 |
間口運輸・丸果石川中央青果初出場 |
昭和63年 |
第17回大会 |
東透氏理事長に就任 |
昭和61年 |
第15回大会 |
浜田亀雄氏新会長『3代目』に就任 |
昭和59年 |
第13回大会 |
新会長として北村光雄氏就任・森川氏は名誉会長 |
昭和55年 |
第9回大会 |
不況により参加チームの減少と負傷選手等が重なり、総当りリーグにて開催 |
昭和52年 |
第6回大会 |
和歌山県営相撲場にて4月開催になる |
昭和49年 |
第3回大会 |
降雨のため決勝戦取りやめ |
昭和48年 |
第2回大会 |
KK松源が初出場 |
昭和47年 |
第1回大会 |
西日本相撲連盟発足(初代会長森川欣哉氏) 有馬温泉神社奉納相撲として10月に開催(和歌山県庁・和歌山県教員・近大職員・黒崎窯業等が出場) |
和歌山県勢が圧倒的にトップ(延べ19チーム)を輩出。
また、九州地方では、多くの優勝経験を持つチームを有する県が多数あります。
更に都道府県別のチーム内訳を検証すると・・・
- 大阪府
- 近畿大学職員(3回)、三日月タクシー(1回)
- 和歌山県
- 和歌山県庁(15回)※最多優勝チーム、和歌山商業高教員[現:和歌山教員](3回)、松源(1回)
- 高知県
- 高知県教員(1回) (熊本)
- 福岡県
- 九州電力(株)本店(1回)
- 熊本県
- 熊本県教員(1回)、九州産業交通(1回)
- 大分県
- 大分県教員(6回)
- 鹿児島県
- 春山整骨院(1回)、北山産業(1回)
- 石川県
- 丸果石川中央青果(1回)
※第4回大会は降雨のため決勝戦は中止
と、和歌山県庁がその強さを誇示し、ダントツの優勝15回でトップを走っています。
長い時代の背景の中で、相撲の文化をしっかりと次の世代へと継承し、日々の稽古にまい進されている姿が想像できます。